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酒類販売と自然派の直輸入ワインのご紹介

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マキノレポート

NO. 514

■  紙芝居

公園から子供の声が聞こえなくなって久しい。今は部屋で
ゲームをやって遊
んでいる子が多いとみえる。昔はほっぺ
た赤くして、手はあかぎれの子どもた
ちが元気に駆けまわっ
ていたものだった。

 午後になると紙芝居のおっちゃんがきていた。拍子木を
カチカチとならし広
場の周辺を回り子どもたちを集める。
もとより広場では子どもたちが元気にか
くれんぼ、缶蹴り、
鬼ごっこ、縄跳びなんかして遊んでいるから2,30人位
作なく集まる。するってえと紙芝居が始まる。

 鼻水たらし10円玉を握りしめたガキンチョが水アメ、
ソースせんべい、梅ジ
ャムなんかを買って、それを食べなが
ら胴間声のおっちゃんの紙芝居を見る
。「鞍馬天狗」「怪傑
ハリマオ」「丹下左膳」「サザエさん」なんかだったり
する。
「そ~のと~きい鞍馬天狗は~パンパパンパン!!」
子どもたちは夢中
になって食い入るように見ている。今の
ようにテレビや娯楽のない時代だった
から紙芝居は大事な
娯楽だった。終わるとおっちゃんは自転車にひらりと
また
がり、颯爽?と次の公演地に向かう。「おじちゃんまた
きてね~」来るに決ま
ってんだろ!おっちゃんは生活
かかってんだから。世の中貧乏人ばっかりでの
んびりした
時代だった。今は紙芝居屋さんの顔をすっかり見かけなく
なった。

世の中豊かになったし、時代が変わった。古き良き時代を
懐かしむのは年寄り
になった証拠。でもやっぱりいい時代
だったよなあ・・・・・・・・日本は豊
かになったけれど大事な
何かを失ってしまったような気がする・・・・・・

■  2月の大雪

今年の2月15日、東日本に降った大雪はすさまじい量
だった。その前の週
にも20cmくらいの雪が降り、首都圏の
交通網はマヒをした。雪国の方々
が見れば「あんなちょっと
で大騒ぎするなんて・・・」と、思われるに違
いない。不思議
なことにあの時、成田周辺は雨だった。それも冬に降る雨
の降り方と違い、ありきたりだが「バケツをひっくり返した
ような
・・・・」と、形容されるくらいのすごい降りだった。
翌日松戸に住む友
人に用事があり電話をすると、「これから
庭の雪掻きだよ!」「エッ!!
そっちは雪が降ったの?成田
は雨だよ」これには先方も驚いていた。何で
も近所の方が
言うには高速道路を走っていて佐倉から急に雨になったと
うことだ。

あとはご存知のように都心でも4~50cm、郊外で
6~70cm、秩父、甲
府で1m前後、山中湖では1m50cmを
越えたそうだが、その後、4月に奥
多摩の山歩きをした際、
里の集落で里人に聞いた話では「大げさでなく
、2m近くは
降った」そうで、「朝、玄関の戸が雪の重みで開けられなくて
2階から飛び降りて雪を掻いて戸を開けた」という。道路は
当然歩ける状態
ではなく、集落の人達が総出で毎日雪掻き
をして3日目にようやく幹線道路
まで出られるようになった。
しかし、幹線道路も車が一台やっと通れるく
らいで、両側は
雪掻きをした雪の壁で、車のすれ違いが出来ない。警察と
役場の指示で時間制の一方通行でしのいだという。食料は
年寄りが多い集
落なので、昔からの習慣通り、「保存食をた
くさん用意していたからなん
とかなった」という。干し柿、
漬物、餅などで「半月くれえ平気さ」とい
う逞しさだ。どの
集落の人に聞いても「おらあ、ここに生まれて何十年
んでるけんど、こんだけ雪さ降ったのは初めてずら」という
くらい前代未
聞のことだったようだ。「でもよう、この奥の
集落におらの叔父さんが90
歳で住んでいたけんど、道が
通じて行ったら死んでた」という。その叔父
さんは心臓に
持病を抱えていたそうで、この大雪では病院にも行けず
往生
したのだろう。「何べん電話しても電話に出ねえから、
きっとそんときゃ
もうダメだったんだんべえねえ」と言うこと
だった。
 雲取山山頂から北へ埼玉県川側に下った地点にある
雲取山山荘に3月15
日に宿泊した。雲取山は2000mを
越える都内随一の高峰だが、小屋の従業
員に聞くと、
やはり2m以上は降ったようで1ヶ月近く「お客は来なかった
」という。そりゃあそうだ、なにしろ下の道路はバスが通れる
ようになっ
たのが3月に入ってからだというし、登山道は雪が
深くて誰も入山できなか
った。そこで、警視庁青梅警察署の
山岳警備隊隊員たちが訓練を兼ねて登
山し、道をつけたの
が3月8日ころだったというから、その一週間後に私が
雲取山に入ったわけだ。いやあ、すごい歴史に残る大雪
だった。来年の冬
も油断できないかもしれない。


■ 長嶋選手のこと

昭和30年代、子供の頃野球が大流行で近所の子供達で
野球チームを作って一
生懸命やっていた。それで小金を
コツコツ貯めては後楽園球場に野球を見に年
に2回くらい
行っていた。家から水道橋の後楽園まで本郷坂経由のバス
で行っ
ていたが、1時間くらいで着いただろうか。当時小学生
は外野席50円だった。
一番得をするのは「変則ダブルヘッ
ダー」というのがあって「巨人ー国鉄」「
巨人ー大洋」この
2試合が夕方4時半薄暮ゲームで行われる。2試合観ても
50円

開場時間には後楽園球場に入り、選手の練習風景を見学
する。捕球の仕方、送
球の仕方、打撃のフォームなどを
勉強するがそこは小学生のこと、すぐに飽き
てイタズラ心が
ムラムラと・・・・・わざと野球帽をグランドに落として
「お
~い、長嶋ァ~帽子拾ってくれよ~」すると長嶋選手は
「しようがないなあ」
と言って拾って帽子を我々めがけて
放り投げてくる。すると調子に乗ったワル
ガキはまたしても
帽子をまた落として「お~い!長嶋ァ~帽子拾ってくれよ

~」「また君たちか!ダメじゃないか!!わざと落とすような
らもう拾わない
ぞ!!」「いいじゃねえかよう!拾わねえと
読売新聞とんねえぞ~!!」

いやはやワルガキでした。長嶋さんその節は申し訳ござい
ませんでした。

マキノリポートNO514

発行日平成26年12月13日

編集人

発行人 ブレッス・ユー

 

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